北尾光司 闘病記録がヤバい!死直前の画像は?プロレス動画は? | ErimakeeニュースWEB

北尾光司 闘病記録がヤバい!死直前の画像は?プロレス動画は?

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北尾光司の闘病記録が話題になっています。

死の直前の写真とは?

プロレスをクビになった八百長発言とは?

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北尾光司 闘病記録

    出典headlines.yahoo.co.jp

北尾光司 闘病記録のニュースは、次のように報道されています。

 今年2月10日に慢性腎不全で亡くなった大相撲の第60代横綱・双羽黒北尾光司氏(享年55)。ズル休み休場、付け人への暴力、親方との対立騒ぎなど数々のトラブルを起こし、史上最低の「ダメ横綱」と呼ばれた角界の異端児を34年間支え続けた妻・淑惠さんが、28日放送のTBS「爆報!THEフライデー」(金曜後7・00)でテレビ初出演する。亡くなる前の十数年は表舞台に立つこともなく突然の死を迎えたが、その波乱に満ちた人生が初めて明かされる。

北尾氏は幼少期から恵まれた体格を持ち、中学卒業後に鳴り物入りで名門・立浪部屋へ入門すると、86年に22歳の若さで横綱に昇進。のちの貴乃花白鵬と並ぶスピード出世に、周囲の期待は否応なしに高まった。横綱昇進を機に、しこ名を双羽黒に改名したが、昇進後の成績は振るわず在位8場所で優勝はゼロ。稽古嫌いで、親方に怒られると実家に帰省するなどやりたい放題。その後は立浪親方と衝突し、24歳4カ月で横綱廃業へと追い込まれた。

北尾氏の悪事をマスコミも次々と追及し、評価は急降下の一途をたどった。そんな中、ただ一人北尾氏を信じ続けたのが、当時交際していた淑惠さんだった。北尾氏が小結に昇進した当時、テレビで見て一目ぼれ。バレンタインチョコを渡したことをきっかけに交際をスタートさせた。横綱廃業後、北尾氏に対し世間から厳しい目が向けられる中、医師として働いていた淑惠さんが“今こそ支えるときだ”と決断し結婚。そんな妻の期待に応えるべく、北尾氏も冒険家、タレント、格闘家へと職を探った。だが、どの仕事も軌道に乗らずにいた。

そんな中、喧嘩別れした立浪部屋から救いの手が差し伸べられ15年越しに和解。親方をサポートする「相談役」として角界に復帰した。こうして再出発へ意気込んだ矢先、頑丈だったはずの元横綱の体を異変が襲った。

些細なかすり傷から両足切断の危機に陥り、その後も弱り切った北尾氏はかつての横綱の見る影もなく、自力で歩くことのできない寝たきり生活を余儀なくされた。元横綱の体を一人娘と淑惠さんで懸命に介護するが、その負担はあまりにも大きく、北尾氏は何度も自殺未遂をはかった。淑惠さんはそんな北尾氏を励まし続けたが、思いは届かず、今年の2月に緊急入院先で静かに息を引き取った。

そんな北尾氏は、死の直前まで闘病の記録をするように淑惠さんに言い続けていた。実は、淑惠さんと愛する娘に、ある意外なメッセージを残していたのだ。

その思いの詰まった病床での北尾氏の映像を公開。そこには、栄枯盛衰の人生を歩んだ元横綱が行き着いた一つの結論が記録されていた。

果たして、人生の最後に残した言葉とは――。思いを受け取った一人娘も初めてテレビに出演し、残された家族の全てを語る。

出典headlines.yahoo.co.jp

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北尾光司 プロレスで不穏試合「八百長野郎!」

北尾光司と言うと、

大相撲ではトラブルを起こして角界を追われ、

プロレスでもあちこちでトラブルを起こしています。

 

最初に入った新日本プロレスでは現場監督の長州力と揉めてクビになり、

他のプロレス団体でも不穏試合をして団体をクビになっています。

たとえば元外人力士のジョンテンタの試合です。

こちらの動画です。

プロレスの試合でレスラーが「八百長」と言ってはダメです。

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北尾光司 高田のキックにKOされる動画

プロレスを永久追放処分された後、

格闘技路線に転向した北尾ですが、

高田延彦のハイキックでKOされた試合は、

ある意味、北尾の代表的な試合です。

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北尾光司 変わり果てた姿

北尾光司の最後は痩せ衰えた姿でした。

あの北尾光司がこんなにやせ細ってしまうとは・・・。

画像はこちらです。

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北尾光司 闘病記録に世間の反応は?

当時小学生だった私は北尾さんをタダのワガママな人というイメージだったのだけどこうして自分も歳を取り改めて北尾さんを思うと不器用な生き方しか出来なかったのかなと思う。
あの恵まれた身体は天の配剤だと思う。
何かそれを北尾さん自身が持て余してしまった気がする。
あの当時小錦さんや海外力士が台頭してきて番付を上げてきた時にまともに組み合って勝負出来たのは北尾さんぐらいだからね。
特に同い年対決だった小錦対北尾は素晴らしい勝負だった。
この北尾さんや清原和博を見て思うんだけど彼等は人並み外れた能力の持ち主。
それ故にそれに翻弄されて苦しんでいた気がする。
その才能故に周りの期待が過剰だったんじゃなかいかなと。
だからバッシングも壮絶なものだったしね。

 

北尾は当時の角界の指導方法が全く合わなかったと思う。
それが理由で角界入りしないアマチュア実力者も沢山います。
天才肌の人って変わり者が多く、北尾もその一人。
もっと伸び伸びと稽古させていれば違った人生になっていたでしょうね。

 

いくら恵まれた素質を持っていたといっても、横綱になったんだから、人知れずの努力があったんだろうと思う。
出世欲より自分のわがままを通した。一風変わった力士だったんだね。
だから非難する人も多い。
でも失踪した時は我慢ならないことが多かったんだろう。きっと不安もあっただろうけれどね。悔いなく、自分の心にまっすぐに、自分らしく正直に生きたかったのかな。
その後の波乱万丈の人生も北尾光司らしいし、そういう生き方しか選べなかったかもしれないね。それが、誰がなんて言おうと北尾の人生哲学なんだろうからね。

 

小錦とがっぷり四つに組んで寄り切った相撲は今でも覚えている。上背があって、懐が深く、力も強い。スルスルと横綱まで登り詰めてしまったけど、この人に合った指導法で教えたら、どれだけ覇権が続いただろうという逸材だった。私的な意見だけど強さだけで言ったら全盛期の北尾は近年の横綱の中でも五指に入ると思う。もちろん本人にも足りなかった部分もあったのだろうけど、誰か一人でも守ってあげる人がいたらまだ良かったのかなと思う。角界全体で育てていかなければいけなかったと思う人でした。

 

千代の富士が誰よりも才能を買ってたなあ
素材としては日本人では恐らく歴代ナンバーワンだったと思う

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北尾光司 闘病記録 おわりに

北尾光司は才能はあったものの、

全てふいにしたのは心の問題だったと思います。

 

番組では美談にしていますが、

あちらこちらでトラブルを起こしていたのは事実ですからね。

 

心技体とは良くいったものです。

もしバランス良く心の成長が伴っていれば、

このような事態になっていなかったのではと思えてなりません。

とても残念です。

ご冥福をお祈りいたします。

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