桃田賢斗 福島生活がヤバい!東日本大震災後、青春時代の福島とは? | ErimakeeニュースWEB

桃田賢斗 福島生活がヤバい!東日本大震災後、青春時代の福島とは?

スポーツ
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桃田賢斗が青春時代を過ごした福島生活を振り返ります。

福島でバドミントンをしていた桃田賢斗が、

東日本大震災後にどのような生活をしていたのでしょうか?

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桃田賢斗 福島生活

桃田賢斗 福島生活のニュースは、次のように報道されています。

東日本大震災から11日で丸9年を迎える。今年1月、マレーシアでの不慮の交通事故から復帰を目指すバドミントン男子シングルス世界ランク1位の桃田賢斗(25=NTT東日本)も、震災を機に運命の歯車が大きく動いたアスリートの一人。福島・富岡高(現ふたば未来学園高)1年時に拠点変更を余儀なくされたが、逆境が桃田を強くした。当時、受け入れ先となった同県猪苗代町のペンション「あるぱいんロッジ」で過ごした2年間を追った。

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桃田賢斗 福島

桃田賢斗は、

香川県の三豊市立吉津小学校1年の頃にバドミントンを始め、

6年生の時に全国小学生選手権シングルスで優勝。

福島県富岡町立富岡第一中学校3年生時の2009年、全国中学校バドミントン大会で優勝します。

福島県立富岡高等学校2年生時の2011年に世界ジュニア選手権男子シングルス、銅メダルを取りました。

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桃田賢斗 東日本大震災

20011.3.11、東日本大震災のとき、

桃田賢斗はインドネシアで修行中でしたが、

帰る場所は半壊していました。

 それは青天のへきれきだった。震災から1カ月。「あるぱいんロッジ」に旅行代理店の営業マンが飛び込みで訪れた。当時のオーナー・平山真さん(71)は振り返る。「学校の受け入れ先を探していた。館内を見て回り、その日に寮になることが決まった」。夏は合宿、冬にはスキー客でにぎわう北欧風ペンションが、富岡高と富岡一中バドミントン部の拠点となった。

11年3月11日、福島第1原発から10キロ圏内にある富岡高は激しい地震で校舎や寮、体育館は半壊した。単身でインドネシア修業中の桃田は被災を免れたが、帰る場所を失い香川県内の実家に避難した。猪苗代への移転は震災2カ月後の5月10日。高校2年となった桃田の時計の針が再び動きだした。「猪苗代という土地も原発からどれだけ離れてるかさえも、誰も知らないで来た。ただ、そこに行けばバドミントンができる。その一心だったと思う」と平山さん。到着した部員たちの笑顔は忘れられない。

寮生活を送る施設はロビーや食堂、大浴場を備える本館と宿泊部屋だけの別館に分かれる。本館は浪江町からの避難者を受け入れ、桃田たちの寮生活は別館で始まった。中高生合わせ部員37人は猪苗代町内のサテライト校に通い、近所の体育館で汗を流す。富岡高は当時の大堀均監督(現トナミ運輸コーチ)の下、午前練習、授業、夕方練習のスケジュール。午後6時半に寮に戻ると洗濯やラケットのガット張りを順番でこなした。人数が多いため8畳の部屋に3人で雑魚寝。それでも、バドミントンができて幸せだった。

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桃田賢斗 福島青春時代

桃田賢斗にとって、

福島での生活は青春時代そのものだったようです。

 桃田の存在は、当時から際立った。富岡一中時代に全国制覇し、国内外への遠征も多かった。「寮に帰ってきた時に桃田君だと分かるようになった」と平山さん。活発な部員が多い中でも寡黙な印象。だが、桃田が遠征から帰ってきた日は寮の雰囲気が少し違った。「全員が食事中に箸を休めて桃田君の話に聞き入っていた。憧れの的ですよね」。遠征先の試合や食事、ハプニング…。食堂の定位置で楽しそうに語るエースの周りには、自然と人だかりができた。

太りやすい体質の桃田には日課があった。毎日、風呂上がりに体重計に乗り、体調管理を行う。野菜嫌いで肉を食べ過ぎてしまうこともあり、時々、反省したような顔で廊下を歩く。「どうしたの?」。問い掛ける平山さんに、桃田はつぶやく。「ちょっとオーバーかな…」。当時からセルフメンテナンスには手を抜かなかった。

桃田は飛ぶ鳥を落とす勢いで成長する。2年時に世界ジュニア銅メダル、3年では日本勢初の同王者の称号を手にした。寮内にはある逸話が残る。廊下の床に円柱形のシャトルケースを立て、スマッシュで次々と倒すのは朝飯前だ。さらに、ネットの高さにひもを張り、得意のヘアピンショットでシャトルを次々にケースにしまった。「彼らの遊びはラケットとシャトル。これは凄いなと、あぜんとしました」と平山さん。逆境に立ち向かう日々も、大好きなバドミントンが支えだった。

卒業して退寮する際に見せた感傷的な桃田の姿は印象的だ。平山さんは「ロビーで後輩たちや同級生とじゃれ合い、なかなか出ていかない。お母さんは玄関の外で“早く行くよ!”と待ってるのに」と振り返る。後輩にサインをせがまれては「ダメ!」と笑う桃田を思い返し「ここに来てバドミントンができてよかったと感じてくれたのかな」と語った。

富岡高はふたば未来学園高として再出発し、寮生活を送った別館は昨秋に取り壊された。生徒が去った今も本館の廊下には、卒業生の寄せ書きが飾られている。18歳の桃田は誓った。「これからも明るいニュースを伝えるので期待していてください」。東京五輪金メダルで、全ての人への恩返し――。そこには、猪苗代の人たちも含まれている。

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桃田賢斗 福島生活に世間の反応は?

明るいニュースを届けたい!と思って頑張ってくれるのは素晴らしい事だけど、
そのせいで気負いしすぎて潰れないようにしてほしいな。
プレッシャーって意外と簡単に人間を潰してきますからね。
競技を楽しんでくれれば!

 

いろいろあったけど、人間だもん。そのいろいろが経験となって今があるんだし。自分は応援するよ。

 

まだ25だけどここまで波乱万丈の人もなかなかいないよね
コンディションも全然整ってないだろうけど、この状況から五輪でメダルに手が届けばかっこいいな

 

十代の頃に仙台で被災した後、五輪を66年ぶりに二連覇した日本の英雄もいます。
靭帯損傷などの大きな怪我に何度も襲われたが、それでも故郷仙台の人たちを勇気づけるためにフィギュア羽生選手が頑張り続けてくれています。
その羽生君の生き様を桃田にも学んでもらって、日本人としてもっと大きな成長を期待します。

 

人それぞれ、人生、良い時も悪い時もあります・・・。

 

アスリートを無理に震災に絡めなくていいよ
とりあえずオリンピック出れるもしくは出れそうな人は国外に脱出して
開催するかどうかわからんけど備えてほしい

 

目は大丈夫なのかな?
五輪延期なんて話も出てきてるし、ゆっくり身体のケアに努めてもらいたいです。

 

桃田にとってはオリンピック延期になったほうがいいな。

 

若いうちの過ちなんて大なり小なり誰でもあるだろ。
起こした直後は叩かれるのはしょうがないでしょ。
でもそこから立ち直って、頑張ってる姿を応援して何が悪い?

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桃田賢斗 福島生活 おわりに

今の交通事故の影響で目の回復が待たれますが、

完治して復活して欲しい選手ですね。

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