漫画家・吾妻ひでおが死去しました。
昭和の時代に萌え漫画を描いていた吾妻ひでおさん、
死因は?
失踪日記に綴られた壮絶なエピソードとは?
吾妻ひでお 死去
出典headlines.yahoo.co.jp
吾妻ひでお 死去のニュースは、次のように報道されています。
「失踪日記」などで知られる漫画家の吾妻ひでお(あづま・ひでお、本名・日出夫=ひでお)さんが13日死去した。69歳だった。葬儀・告別式は近親者で行った。食道がんの治療中だった。
昭和44年にデビュー。「ななこSOS」など美少女を描いた作品や、「ふたりと5人」などのギャグ漫画、SF・不条理をテーマにした「不条理日記」など幅広い作風で知られた。
平成17年、失踪やアルコール依存症など自身の壮絶な実体験を描いた「失踪日記」がロングセラーに。日本漫画家協会賞大賞、手塚治虫文化賞マンガ大賞などを相次ぎ受賞した。
一貫して美少女を描き続け、日本のポップカルチャーの源流の一人として近年再評価が進んでいた。
出典headlines.yahoo.co.jp
吾妻ひでお 死因は?
吾妻ひでおはアルコール依存症だったり、
失踪していたりと、
晩年は可愛らしい画風と実生活の違いに、
世間を驚かせました。
吾妻ひでおは13日死去しましたが、
死因は食道がんでした。
吾妻ひでお 失踪日記
吾妻ひでおは美少女系キャラのSF、ナンセンス漫画で名を馳せました。
デビュー作の「ふたりと5人」
アニメ化された「オリンポスのポロン」、「ななこSOS」など代表作が多くあります。
しかし、1980年代後半から低迷し、
1989年にはうつ病とアル中がひどくなり、
失踪しました。
ホームレスの路上生活者となっていましたが、
警察に保護されています。
失踪期間は1989年11月 – 1990年2月までした。
1992年にも2度めの失踪をしています。
東京ガスの下請けの会社で配管工として肉体労働をしていましたが、
漫画家の血がうずきだして、
社内報に4コマ漫画を投稿して採用されています。
失踪期間は1992年4月 – 1992年8月までした。
その後も重度のアルコール中毒で、
奇行や自殺未遂を起こすなど症状がひどく、
1999年に治療を行い、断酒しています。
1度目の失踪を描いた「夜を歩く」、
2度目の失踪を描いた「街を歩く」、
アルコール依存と治療の時期を描いた「アル中病棟」の3つのエピソードをまとめて、
2005年に「失踪日記」という漫画を出版しています。
この「失踪日記」は反響があり、
第34回日本漫画家協会賞大賞、平成17年度文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞、第10回手塚治虫文化賞マンガ大賞、第37回日本SF大会で星雲賞ノンフィクション部門、Gran Guinigi賞Riscoperta di un’opera(再発見された作品)部門を受賞しています。
吾妻ひでお ツイッター
吾妻ひでおは2017年3月に食道がんであることを、
ツイッターで発表しています。
食道癌治療のため現在入院です。 pic.twitter.com/4hjFzvUDXG
— 吾妻ひでお (@azuma_hideo) March 31, 2017
毛が抜ける前に坊主にした。 pic.twitter.com/jQVW11vyDJ
— 吾妻ひでお (@azuma_hideo) March 31, 2017
食道がん治療中でしたが、
帰らぬ人になりました。
遺族が死去のツイートをしています。
吾妻ひでお(本名:吾妻日出夫)、かねてから食道がん治療中でしたが、2019年10月13日未明、都内の病院で永眠いたしました。享年69歳。ここに謹んでご報告申し上げます。合わせて永年の読者の皆様のご支援と励ましのお言葉に改めて御礼申し上げます。
— 吾妻ひでお (@azuma_hideo) October 21, 2019
葬儀、告別式は近親者のみで執り行いました。大変恐縮ではございますが、故人宅への取材、お問い合わせ、供花等はお控えいただくよう、お願い申し上げます。後日、お世話になった方々、ファンの方々にも参加していただける形でお別れ会を開く予定です。こちらは決定次第、ご案内申し上げます。
— 吾妻ひでお (@azuma_hideo) October 21, 2019
吾妻ひでお 死去に世間の反応は?
◆「うつうつひでお日記」について2006年、吾妻さんに取材のお願いをしました。
書面でなら答えます、とお返事があり、質問を送ると、ユーモアをまじえて回答いただきました。かわいらしい自画像のイラストも添えられていました。
アルコール依存やうつ病の体験を、漫画で伝えてくださった吾妻さん。もともとのファンだけでなく、励まされ、共感した人はたくさんいると思います。ありがとうございました。
◆失踪日記等を読んでいると69歳まで生きておられたのが不思議なくらい波乱万丈な方でした。
楽しい作品をありがとうございました。ご冥福をお祈り申し上げます。
◆健康的な生活をしていたとは言えないからな~。
もっと多くの作品を読みたかった…、合掌。
◆面白うて やがて悲しく 面白い
「失踪日記」は吾妻氏にしか書けない作品だったと思う
ご冥福を心からお祈りいたします
◆明らかに不摂生でしたからね。むしろ69まで生きられたのは長生きだった方なのかもしれません。良くも悪くもこういう漫画家さんは今は現れないでしょうね。
◆上手く生きれば文筆家としての地位や称号を得るに足りる方だったと思います、しかしご本人の性格か信念なのか型破りに生き、それに見合う素晴らしい作品を残された方でした。
ご冥福をお祈りいたします、多くの素晴らしい作品ありがとうございました。
◆謹んでお悔やみを申し上げます。
ちょうどブラックジャックをチャンピオンで読んでいたころにふたりと五人の連載が始まった。
今現在も続く美少女系のアニメやコミックの元祖ともいうべき作家。
スッラプスティックなギャグを可愛い画風で描くスタイルを当時は新しく感じたものでした。
◆初期の頃は、エロ可愛いタッチが好きでしたね。時代がもう少し後だったら、アニメ界で活躍してたかも?アル中になってからは漫画を見ることはなかったですが、また一人昭和を代表する漫画家がいなくなったのは寂しい限りです。
◆ご病気でしたか
先生の過去の行動から鑑みると自死でなかったのはせめてもの救い
お悔やみ申し上げます
◆同世代の漫画家が何人か友人ですが体が不調なのが多いです。
動かないので健康とは程遠い仕事ですが吾妻さんは甦って来られたので凄いなと思ってました。
妄想にかけては天下一の漫画家さんだと思ってます面白い漫画を今まで有難うございました。
吾妻ひでお 死去 おわりに
吾妻ひでおの全盛期を知っているので、
失踪日記はショッキングでした。
どんなにヒット作を出した漫画家でも大変なのだなと思いました。
今の萌え文化の先駆けでもあった吾妻ひでおさん、
面白い漫画をありがとうございました。
ご冥福をお祈りします。
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