佐藤二朗の素顔が話題になっています。
リクルートを1日で辞めた理由は?
佐藤二朗 素顔
佐藤二朗 素顔のニュースは、次のように報道されています。
マニアックな分野の知識を競い合う視聴者参加型クイズ『99人の壁』のMCや、体当たりの芝居が話題を呼んでいるドラマ『浦安鉄筋家族』などで存在感を放ち、今や日本を代表する怪優と言える存在となった俳優・佐藤二朗。しかし、かつて自身の劇団で上演した舞台を映像化し、監督を務めた最新映画『はるヲうるひと』では、そんなパブリックイメージを裏切るかのような狂気を帯びた役どころを演じている。
出典headlines.yahoo.co.jp
佐藤二朗 「はるヲうるひと」で狂気
佐藤二朗の監督作品「はるヲうるひと」を見てみましょう。
映画のあらすじです。
その島は、至るところに「置屋」が点在する。本土からは日に二度連絡船が出ており、客の往来の足となっている。住民たちはこの閉塞された島で一生を過ごす。女は客から「外」の話を聞いて思いをはせる。男は、女たちのそんな「夢」を一笑に附して留まらせる。ある置屋にその「三兄妹」はいた。長男の哲雄は店を仕切り、その凶暴凶悪な性格で恐れられている。次男の得太は哲雄にこびへつらい、子分のようにしたがっている。長女のいぶきは、長年の持病を患い床に伏しいてる。ここで働く4人の個性的な遊女たちは、哲雄に支配され、得太をバカにして、いぶきに嫉妬していた。女を売る家で唯一女を売らず、それどころか優遇された箱入り娘。 しかも、いぶきはだれよりも美しかった。その美しいいぶきを幼少から見守り寄り添う得太であった…
引用https://www.youtube.com/watch?v=6RlStL-QAW8
「はるヲうるひと」は監督以外にも、出演しています。
佐藤二朗 素顔とは?
フォロワー数175万人を誇るツイッターでは、妻や息子について語ったツイートが毎回多くの人の共感を呼び、新卒で入社した会社をたった1日で辞めた自身の道のりを「俳優になる運命だった」と述懐。新型コロナウイルスの影響で先行きがまったく見えず、混迷の度合いを増していく令和の世の中を闊歩する51歳の横顔に迫った。
佐藤二朗 リクルートを1日で退職
佐藤二朗を語る上で最初の仰天エピソードがリクルートを初日で退職したことです。
入社当日に夜行列車で故郷に帰り会社を辞めました
――先日ゲスト出演された『嵐にしやがれ』でも話していましたが、リクルートに入社して1日で辞めたというのは本当の話なんですか?佐藤:そうです。番組でも言いましたけど、子どものときから“将来の夢”とか生やさしいものではなく、俳優になる“運命”だと頑なに、バカみたいにずっと思っていたんです。
佐藤二朗 リクルートを辞めた理由は?
佐藤二朗は役者の夢を持ちながらも、
役者では食えないとの思いで、就職したものの・・・
――会社を辞めたときの経緯をもう少し詳しく聞いてもいいですか。
佐藤:僕が就職した当時(’92年)は内定者を2泊3日の合宿研修で囲い込む拘束旅行みたいなものがあったんですよ。そこで江副(浩正)さんのビジネス論を教えてもらい、「働きたい」という気持ちが高まっていた。
でも、入社式をして渋谷の“ビーとら”部隊、今の若い人は知らないだろうけど、『B-ing』『とらばーゆ』という就職情報誌を扱う部署に配属されて。上司を何人も紹介されるうちに、「この人たちとこれから10年、20年やっていくんだ。俺は本当にここで俳優あきらめるんだ」と思ったら、居ても立ってもいられなくなって。
――え!? 本当にそれだけで辞めようと思ったんですか?
佐藤:ええ。歓送迎会の二次会か何かのパーティで嘉門達夫さん……たぶん当時リクルートのCMをやってたんでしょうね。嘉門さんが歌ってる途中で会場を飛び出して。雨が降ってるなか寮に荷物を残したまま、新宿から夜行列車に乗ってその日のうちに故郷の愛知県に帰ってしまったんです。
佐藤二朗 役者と営業の二足のわらじ
しかし実家の愛知に戻った後は、
役者をしながら営業の仕事をしていました。
――実家に帰った後もしばらく営業の仕事をしていたそうですね。
佐藤:俳優と営業ってすごいかけ離れたイメージですけど、自分の場合、合っていたのか割と成績がよかったんですよ。人の話を聞くのが好きだったし、相手や状況によってこっちのキャラを変えて応じる技術も芝居に通じるというか。ここちょっと押せば取れるな、というときに「ありがとうございます!」って先に言っちゃったり。今思えばそういうタイミングを感じる能力には長けていたかもしれない。完全に後づけだし、無理やり感は否めませんけど(笑)。
でも、「俳優になりたい」という気持ちを自分では完全に消したつもりだったのに、消しきれてなかったんでしょうね。だからそのまま会社員を続けていたとしても、どこかで俳優をやっていたと思います。だって消えてないんだから。
佐藤二朗 素顔 おわりに
佐藤二朗はリクルート退職後に劇団に入って演劇活動をしますが、
「俳優への適性がない」と感じ、26歳で小さな広告代理店に入り、営業として部署トップの成績を残しました。
しかし俳優の夢を捨てることはできず、
自ら劇団を主宰し演劇活動をしていくいくうちに、本格的に周りからも認められて役者仕事の声がかかるようになり、29歳で広告代理店を退職しました。
2000年ごろよりテレビからも声がかかるようになっています。
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