作曲家・中村典正が死去しました。
中村典正は三山ひろしの義父です。
どんな曲を作曲したのか見てみましょう。
中村典正 死去
出典headlines.yahoo.co.jp
中村典正 死去のニュースは、次のように報道されています。
歌手・三山ひろし(38)の師匠で義父の作曲家・中村典正(なかむら・てんしょう、本名中村貞夫)さんが16日、肺炎のため死去していたことが20日、分かった。83歳。山口県周南市出身。通夜と告別式は、密葬として既に営まれた。後日、「お別れの会」を予定している。
中村さんはコロムビア歌謡コンクール徳山大会に入賞し、歌手を志して上京。全国大会にも入賞した。
「喜びも悲しみも幾歳月」のヒットで知られる歌手の故若山彰さんの付き人をへて、故美空ひばりさんの「お祭りマンボ」などを手掛けた作曲家の故原六郎さんに師事した後、編曲家となった。
その後、作曲家を目指し、1963年に北島三郎の「田舎へ帰れよ」で作曲家デビュー。2作目となる北島の「仁義」が大ヒット。その後、鳥羽一郎、藤あや子、大川栄策、冠二郎らに曲を提供した。また、三山を昨年まで4年連続でNHK紅白歌合戦に出場する人気歌手に育て上げた。
妻は歌手の松前ひろ子。次女の洋子さんは2012年3月に三山と結婚、一男一女をもうけている。
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三山ひろし 義父・中村典正
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けん玉で有名な演歌歌手三山ひろし、
師匠の中村典正の子供と結婚していて、
中村典正は父になります。
中村典正の奥さんで歌手の松前ひろ子のプロデュースする「LIVEレストラン青山」での下積み時代に交際をスタート。
奥さんはレストランの現場マネージャーをしていました。
そして世間には内緒で2012年に結婚。
三山ひろしは大事な時期だったため、
世間には非公表でした。
そして2015年の第66回NHK紅白歌合戦に初出場すると、
結婚していたことを発表しました。
発表時には2人のお子さんもいました。
ではその奥さんの洋子さんのお写真です。
中村典正 作曲
作曲家・中村典正の作品を見てみましょう。
【主な作品】
・中村千里・・・「仁義」「盃」「誠」「終着駅は始発駅」(北島三郎)
・中村典正・・・「祝い舟」(門脇睦男)
「男の港」「帰航節」「熊野灘」「親子船」「佐渡の舞い扇」(鳥羽一郎)
「港町恋唄」(川野夏美)「花筏」「城ヶ島雨情」「越後海道」「雪国紅葉」(長保有紀)
「人恋酒場」「酔待ち酒場」「ダンチョウネ港町」「女に生まれて」「男のうそ」 (三山ひろし)
・山口ひろし・・・「浮草慕情」「祝いしぐれ」「夫婦草」「夢追いぐらし」「人生ふたり旅」
「花街一代」「はなむけ祝い唄」「酒場情話」「母ざくら」「いたわり坂」「望郷千里」
「国東半島」「まさか」「萩みれん」「春暦」(松前ひろ子)
「こころ酒」「むらさき雨情」「みれん」(藤あやこ)
「大阪夜曲」「大阪無情」「男の居酒屋」「男の燈台」(三門忠司)
「手鏡」(石原詢子)「天命」(冠二郎)「北の慕情」(大川栄策)引用ww.tkma.co.jp/enka_release_detail/matsumae.html?rid=3373
中村典正 死去に世間の反応は?
◆素敵な曲をありがとうございました!
ご冥福をお祈り致します。
◆亡くなられたんですね。残念です。お目に掛かった事は、在りませんが、いつもコンサートで、パパがパパがっておっしゃってたので、凄く仲が良いんだろうなぁと思ってました。心よりご冥福をお祈りします。きっと天国から三山さんの事ご家族の事を見守って下さると思いますよ。ご家族の皆さん元気出して下さいね元気で居てる事が供養になるでしょう。頑張って下さい。応援してます。
◆他の記事にありますが、この方、山口ひろしさんとかの名前を使ったんでしたね。
藤あや子さんのH5年「むらさき雨情」やH7年「み・れ・ん」などもよく聴かせていただきました。
2元号が遠くなります..心から安らかに。
◆誠、親子船、萩みれん、酔待ち酒場、ダンチョネ港町、女に生まれて…
昭和が遠ざかっていきますね…。
心よりお悔やみ申し上げます。
中村典正 死去 おわりに
中村典正先生、
今まで素晴らしい曲をありがとうございます。
ご冥福をお祈りします。
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