志村けん・愛弟子が師匠のエピソードを語りました。
厳しさの中に優しさがあるエピソードを見てみましょう。
志村けん・愛弟子 初告白
志村けん・愛弟子 初告白のニュースは、次のように報道されています。
「他の人が知らない志村さんを僕はたくさん知っています。すごく大切なものを教えていただき、弟子のときは一緒にいることが当たり前でしたが、離れてより志村さんの存在の大きさがわかります。志村さんと一緒にいられた時間は贅沢で本当に夢のようでした……」
そう語るのは、3月29日に新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなった志村けん(享年70)の弟子で、現在は故郷の鹿児島でタレントや、ご当地レポーターとして活躍する乾き亭げそ太郎氏(49)。「志村けんのバカ殿様」(フジテレビ系)ではメガネをかけた家来として出演。
出典headlines.yahoo.co.jp
志村けん 付き人から「志村けんさん」呼び
志村けんの付き人だった乾き亭げそ太郎、
師匠とのエピソードを語っています。
まず、志村けんは、師匠と呼ばせなかったようです。
げそ太郎氏が初めて志村と顔を合わせたのはその1週間後。麻布十番にある志村の行きつけの喫茶店だった。
「緊張してあまり記憶がないのですが、志村さんに『芸人を目指してオレのところに来ても、教えることはないぞ』と言われました。そのときに僕が『これからは志村さんのことを師匠と呼んでいいですか?』と聞いたら、『芸人たちはオレを師匠と呼んでいるけど、自分の弟子から師匠と呼ばれるのは恥ずかしいから「さん」付けでいいから』と言われました。なので、僕は志村さんのことを一度も“師匠”と呼んだことはなく、今でも“志村さん”と呼ばせていただいています」
志村けん 高級車こすられて・・・
志村けんのリムジンをこすったエピソードも
1000万円以上する高級外国車リムジンで志村宅を訪れ、仕事場から自宅まで送迎するのが日課だった。車中での志村はビートルズや吉幾三、吉田拓郎の曲を好んで聴いていたという。
「志村さんの乗り降りするドアの辺りに大きなキズを付けてしまい、顔面蒼白になりました。その日は志村さんがお気に入りの女性とのお食事で、悩みましたが、正直に言うなら今日しかないと思い、飲んで機嫌よく女性と戻って来たときに『志村さん、すみません。擦ってしまいました』と謝ったら『おお、まあ仕方ねえなあ』の一言だけでなんとか怒られずにすみました。
志村けん 厳しさ
志村けんが弟子に怖い顔を見せるときがありました。
「現場で志村さんから目を離したときはよく叱られました。志村さんがタバコを吸いたいときに用意が遅れたり、汗をかいたときにタオルの準備ができていないと、『オレが今、何を思って、何を考えているか読めよ。芸人は目の前の1人の気持ちを分からなくて、テレビの向こう側にいる何百万、何千万人の視聴者の気持ちがわかるわけないだろう』と注意されました。
また、志村さんがもっとも嫌うのが遅刻です。ある日、僕が一度だけ大幅に遅刻してしまったことがありました。収録終わりの深夜3時のファミレスで志村さんに『お前、ナメてんのか! オレは1日がマイナスからのスタートになるから遅刻は嫌なんだ。“すみません”のマイナスからのスタートになることを何で弟子のお前がやるんだ。調子に乗ってんのか』と、朝の7時まで説教を受け、本当に申し訳ないと思いました」
志村けん 弟子への教え
げそ太郎が辞めたいと言い出して・・・
弟子になって3年。四六時中、志村を支え続け、ネタを考える時間が欲しいと考えたげそ太郎氏は弟子を辞めることを決意。志村にそのことを告げると、一喝された。
「『弟子を辞めさせてください』とお話ししたときに志村さんに怒られたんです。『ダメだ。お前、この3年の間に何もやってないじゃないか。環境を変えたら自分ができると思っているかもしれないけど、やる人はどの環境にいても絶対にやるからな。俺もドリフターズに坊や(付き人)で付いていたときに、坊やの仕事をしながらメンバーやスタッフを笑わせていた。与えられた環境で何もしていないお前は他へ行っても何もできない』と言われました」
志村けん弟子 バカ殿に出演
一度は弟子を辞めると言い出したゲソ太郎ですが、日の目を見ることに。
「僕の出すネタは当然、会議では箸にも棒にも掛からないんですけど、ある時、家族コントが1本通ったんです。それから2本、3本と少しネタが通ると、志村さんから『メシ食いにいくか?』と声を掛けてもらって、『お前はやればできるんだから、芸人としてがんばれよ』と照れ屋の志村さんが初めて褒めてくれました。97年に、ディレクターさんが志村さんに『こいつがんばっているので、バカ殿の家来にも使ってみませんか』と助言してくれて、『バカ殿様』への出演が決まり、志村さんと念願の共演ができました。心の底からうれしかったですね」
志村けん 教え
志村けんの教えはリアリティでした。
当初、「芸は教えられない」と弟子を突き放した志村だったが、げそ太郎氏は多くの芸を師匠から教わっていた。
「志村さんがコントで大切にしていたのは、リアリティでした。『コントの入りが“そんなこと現実にないよ”と最初に視聴者に思わせてしまうと、見ている人は入り込めない。最初は現実的な日常じゃないといけない。そこからどんどん進んでいって、最後はもうリアルじゃなくても関係なくなるんだから』と。
そしてコントで演じるときは、演技の前段階をよく考えろと口酸っぱく言われました。例えば、志村さんが酔っぱらいの役をやるときに『オレはいつも演じる酔っぱらいが、うれしくて飲んでいるのか、悲しくて飲んでいるのか、怒って飲んでいるのかを考えてやっている。それによって演技やセリフも大きく変わってくる。演技の前の気持ちを作って、セリフを言わないとダメだ』と丁寧に教えていただきました」
志村けん 健康オタク
志村けんは酒、タバコのイメージですが、健康オタクだったとか。
志村と言えば、毎晩のガールズバー巡りと1日タバコ3箱の不摂生が代名詞でもあったが、げそ太郎氏は「健康オタク」だったと証言する。
「豪快にお酒を飲んでタバコを吸うという印象があると思いますが、志村さんはお酒を美味しく飲むために健康にはすごく気を遣っていました。肝臓の数値がよくなかったりして、主治医の先生に朝はイワシを食べるようにと言われると、毎朝イワシを食べ続けていました。先生に少しお酒を控えなさいと言われると約束をしっかり守って本当に控えるんです。きな粉豆乳が身体にいいとわかると毎日飲んだり、人に勧めたりもしていました」
志村けん 卒業
そんな志村けんから卒業の時が来ました。
01年、げそ太郎氏は「このままでは志村さんをずっと頼ってしまう」と、弟子からの卒業を決断し、志村から「がんばって来いよ」と背中を押され、約7年間の弟子生活を終えた。げそ太郎氏はダチョウ倶楽部がいる太田プロに所属することが決まり(16年に退社)、その後も志村は特番や舞台がある度にげそ太郎氏に声を掛け、弟子の成長を見守ってきた。げそ太郎氏が最後に志村と会ったのは昨年7月だったという。
志村けん・愛弟子 初告白に世間の反応は?
◆志村さんの人柄がわかる記事。
厳しかったがそれが優しさだと
伝わりますね。教えて貰ったこと勉強になったことたくさんあって今の自分がいらっしゃるですね。
◆厳しさもあるけど、きちんと理由があるし、
正直に謝れば高級車傷つけても許してくれる。
面倒見の良い、素晴らしい師匠。
ドリフの付き人時代に、いろいろ学んで
基礎が培われたんだろうな。
◆近くで見てきた人だからこそわかる事が多かったんですね。芸には本当に厳しく、真面目に演じて妥協していなかったのがわかります。
◆なんか久々にいい記事を読んだ気がします。
内容もきちんとしているし長さも凄く良い。
もっと読んでみたいなと思わせる良い記事でした。
◆志村ってほんとに性格いいんだなー。
リムジン傷つけてもいいけど遅刻は許さない。
これはすごい。
急ブレーキも聞かれるまで注意しない。
あと酔っぱらいの演技に対する考え方はすごい。
主演映画、観たかったなあ、、
◆いい話でした。弟子だけが知る話で売込みだからもなく、本当に志村けんさんを慕っていたのが分かりますね。特に志村さんのこの言葉は、彼でなくても心に響きますね。
◆普通だったら田舎から出てきた若者にリムジンの運転手はさせないでしょうね。どこか人柄が気に入ったんでしょう。再会の写真…心残りでしょうが志村さんとの思い出は他の人には経験できない時間、大切にしていただきたい。
◆厳しさの中にも優しさがある
後輩に慕われる理由が分かります。
やはり志村さんは素敵な人ですね。
志村けん・愛弟子 初告白 おわりに
志村けんさんとの良いエピソードでしたね。
一番近くにいた弟子ならではでした。
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