八千草薫が死去されました。
品のあるお母さん役が根強い八千草薫さん。
死因は?
八千草薫 死去
出典headlines.yahoo.co.jp
八千草薫 死去のニュースは、次のように報道されています。
28日、ドラマ「岸辺のアルバム」「やすらぎの郷」などで知られる女優・八千草薫さんが、24日に88歳で亡くなったことを各メディアが報じた。
八千草さんは今年2月にがんを公表。所属事務所の公式サイトを通じて、出演予定だったドラマからの降板を明かし「一昨年の年末にすい臓に癌が見つかりまして、昨年1月に手術致しました。術後は順調で去年は連続ドラマと舞台に出演させて頂きました。ところが今年に入りまして肝臓にも見つかり、主治医と相談しまして、この寒い季節と撮影期間の長い作品もありますので、今回は暫くお仕事をお休みさせて頂き、治療に専念することと致しました」と休養を宣言していた。
八千草さんは1947年に宝塚歌劇団に入り、1951年の『宝塚夫人』で本格的に映画デビュー。お通役を務めた三船敏郎さん主演の『宮本武蔵』(1954)や『蝶々夫人』(1955)などに出演した。1957年に宝塚歌劇団を退団。『乱菊物語』(1956)を手掛けた、映画監督の谷口千吉さんと結婚した。
その後も『ガス人間第1号』(1960)、『男はつらいよ 寅次郎夢枕』(1972)、『田園に死す』(1974)などに出演。不倫に走る主婦を演じ、ドラマ史に残る傑作と名高い「岸辺のアルバム」(1977)や、「阿修羅のごとく」(1979)などテレビでも活躍した。近年も上川隆也さん主演の「執事 西園寺の名推理」(2018)に出演したが、今年放送された続編は闘病のため降板していた。1997年には紫綬褒章、2003年には旭日小綬章を受章している。(西村重人)
出典headlines.yahoo.co.jp
八千草薫 死因は?
八千草薫は88歳で病死しました。
死因はガンでした。
2017年の末に膵臓にがんが見つかり、2018年1月に手術しました。
その後はドラマや舞台に復帰しています。
その後、2019年に入って肝臓がんが見つかり治療に入りました。
死因としては膵臓がんになります。
亡くなったのは24日ですが、
前日も事務所の人の見舞いに「じゃあ明日ね」と答え、
当日朝も看護師とは普通に会話をしていましたが、
様態が急変したとのことです。
八千草薫 若い頃の写真
八千草薫の若い頃の写真です。
宝塚歌劇団出身で、
若い頃は「お嫁さんにしたい有名人」にたびたび名前が挙がる女優さんでした。
お年を召してからは、
「優しいお母さん」の代名詞のような存在でした。
八千草薫 死去に世間の反応は?
◆えー!まだまだお元気なイメージなのに…
いつまでもお綺麗な凛とした女優さんでした。
御冥福をお祈りします。
話は変わるが
吉永小百合が74歳ってのも、仕事の流儀を見て
驚いた…
◆最近「皇潤」のCMで見なくなったと思ったら…
自分にとっては、向田邦子さんの『阿修羅のごとく』の印象が強いです。
多くの良い作品を残していただき、ありがとうございました。
◆優しそうで清楚で可愛くて、女優さんの中の女優さんという感じの方でした。古き良き時代の名優がまたお一人旅立たれた。どんどん寂しくなりますね。
お疲れ様でした。安らかに。
◆凛とした姿がとても素敵で大好きな女優さんでした。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
◆また一つ、時代の波が動きましたね。
あのおっとりとした気品溢れる女優さんが居なくなった事は、大変残念に思います。
ご冥福をお祈りします。
◆上品で凛としていて、お茶目で…慕っていた同業の方も多いと思います。
残念ですね…。
ご冥福をお祈りいたします。
◆心からご冥福をお祈りいたします。
またひとり、昭和の名優が旅立たれました。
本当に寂しい限りです。
◆体調不良とはお聞きしていましたがやはり残念でなりません。心からご冥福をお祈りいたします。
◆色んな作品を見させていただきました。笑顔が素敵なイメージがありました。素敵な作品を見せていただき、ありがとうございました。
八千草薫 死去 おわりに
個人的には「俺達の旅」でオメダのお母さん役が印象的でした。
本当に上品と言う言葉を人間にした様な方でしたね。
その努力も大変なものだったと思います。
ご冥福をお祈りします。
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