杉原千畝がネットで話題になっています。
なぜいま杉原千畝の話題が出ているのか?
杉原千畝を調べてみました。
杉原千畝 命のビザ、記念碑は邪魔だった?
今回の杉原千畝の話題は、次のようにニュースで伝えています。
【エルサレム時事】第2次大戦中に「命のビザ」でユダヤ人数千人を救った外交官杉原千畝(1900~86年)を顕彰し、イスラエル中部で植林された松など400本の少なくとも一部が消失し、現地に建立された記念碑も撤去され、所在不明になっていることが12日分かった。
複数の関係者が明らかにした。伐採された可能性が高い。
ナチス・ドイツの迫害からユダヤ人を救った杉原千畝はイスラエルで英雄視され、85年にイスラエル政府から「ヤド・バシェム(諸国民の中の正義の人)賞」を贈られた。中部ベトシェメシュ近郊で同年に行われた植林には、ビザ発給で一命を取り留めた人々やその親族が参加。植林支援のため、日本から寄付金も贈られた。
植えられた木はその後、周辺の樹木と区別がつかないほどに大きく成長したが、15年ほど前の宅地造成工事に伴い、少なくとも一部が伐採されたとみられる。杉原の業績と植樹に関する説明を記していた石の記念碑もその際、破壊された可能性があるという。
国土の多くが砂漠で、植林を重視するイスラエルで記念樹が伐採されるのは異例だ。植林を管轄する準政府機関ユダヤ民族基金は先月、実態解明に向けた調査を開始した。
85年、当時病床にあった杉原千畝に代わり、ベトシェメシュでの植林記念式典に参加した四男伸生さん(70)=ベルギー在住=は「植林には人間の命がこもった木を皆で植えたという意味があった。後世への希望が刈り取られ、記念碑が捨てられてしまったのが悲しい」と落胆している。イスラエル国内外のユダヤ人社会からも、木や記念碑を守れなかったことに強い批判の声が出そうだ。
・杉原千畝は日本の外交官でありながら、敵対関係にあるユダヤ人の命を救いました。
・杉原千畝の発行した「命のビザ」をイスラエルでは称え、1985年に植林した。
・4000本の木だが、現在伐採され、同場所にあった記念碑も破壊、撤去されていた
・宅地造成工事に伴い、一部を伐採された模様
杉原千畝 命のビザ、植林伐採に日本人の反応は?
【「命のビザ」植林が消失 杉原千畝記念碑も所在不明 イスラエル】
第2次大戦中に「命のビザ」でユダヤ人数千人を救った外交官杉原千畝(1900~86年)を顕彰し、イスラエル中部で植林された松など400本の少なくとも一部が消失し、現地に建立された記念碑も撤去…(続き)⇒https://t.co/v8W5qBqH7S pic.twitter.com/lTbaGHld4I
— 時事ドットコム(時事通信ニュース) (@jijicom) 2019年2月12日
今回の植林消失のニュースは、
日本でも様々な反応がありました。
「命のビザ」植林消失
杉原千畝記念碑所在不明
時事通信2/13 7:1212日明らかに。伐採可能性高
戻せるものは戻し。外交官杉浦千畝母校県立瑞陵高等学校の近くにこれまでいた私、新たな民官外交の世界各国のチームは、外交官杉原千畝氏の精神を時折に見て今後も頑張るので安心されて
義昭愛海🚢♥
— Yoshiaki Azuma(East) (@1380Ay) 2019年2月13日
「命のビザ」植林が消失=杉原千畝記念碑も所在不明-イスラエル>>>>残念な国だな。イスラエル・・・・。
— 乾坤一擲。 (@wakoutamahagane) 2019年2月13日
>植えられた木はその後、周辺の樹木と区別がつかないほどに大きく成長したが、15年ほど前の宅地造成工事に伴い、少なくとも一部が伐採されたとみられる。杉原の業績と植樹に関する説明を記していた石の記念碑もその際、破壊された可能性があるという。
不動産業者やら、宅地造成業者が都合が悪いので撤去したようだな
戦時中のユダヤの人々は杉原さんを信じて必死の想いで脱出に成功した。
その想いを実現するために杉原さんはユダヤの人々を命がけで信じて印を押し続けた。
その想いを消してはいけない。
我々は現代でもユダヤの人を信じよう。
残念ですね。
長い時が経てば、その時生きていた人もいなくなるし記憶が薄れて、記念碑をただの邪魔な岩としか見れなくなるのかね。
国民にはその事実を知らせてもいないのかもしれない。
「命のビザ」は風化してしまったのでしょうか?
日本人の人の恩を忘れないと言う信条はイスラエルにもあると思ったから落胆したのでしょう。結局は損得で伐採され記念碑も壊されたんでしょう。杉原千畝さんの親族の方も心を踏みにじられた気持ちで言葉もないでしょうね。それを思うとトルコの人々は未だに昔々の出来事を子孫に伝えて日本を愛してくれている。国によっては昔は振り返らないのが良いとされているのかも。
植林はまだしも、記念碑まで壊して消失してしまうのは残念でなりません。
喉元過ぎれば熱さを忘れる、ではないことを祈ります。
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